京太郎のブログ

社会問題についてと作品評論を書いてます。

歴史の忘却とは何か?~ハンナ・アレントとアウシュビッツ~

0.前回のあらすじ

前回記事では、歴史を学ぶとは一体何を意味するのかについて考察した。そこでは、あり得たかもしれない可能性を感じ取ることなしには、歴史を学ぶということは始まらないのではないかということを確認した。

今回の記事では、歴史を忘却すること、歴史を忘れ去ることについて考えていきたい。その中で、歴史を忘却することは、ただ単に記憶を失うことではないのではないかということについて話したいと思う。

tatsumi-kyotaro.hatenablog.com

 1.歴史の忘却とは何か?

“歴史を忘れ去ってはいけない。歴史を忘却してはならない。”

良識のある人々がそう口にする際、ここに避けては通れない疑問が発生する。

その疑問とは、そもそも歴史の忘却とは何を指しているのかという事である。

歴史の忘却とは一体何か

この問題に答える上で私は一人のユダヤ人哲学者ハンナ・アレントを取り上げたい。アレントこそ戦後にナチス全体主義の問題を取り上げ、歴史の忘却を誰より警戒した人物の一人であるからだ。アレントナチスを恐れたのは、ナチスユダヤ人を虐殺し、その痕跡すら抹消しようとしたからであった。彼女はそこに歴史の忘却の危険性を感じ取ったのだ。

アレントが真に恐怖したのは、ナチスユダヤ人に対してジェノサイドを行っただけでなく、ユダヤ人が毎日殺されていったという歴史的事実をこの世界から消し去ろうとした事だったのだ。アレントは、ユダヤ人が毎日殺害されていたアウシュビッツ強制収容所について次のように述べている。

警察の管轄下の牢獄や収容所は単に不法と犯罪の行われる場所ではなかった。それらは、誰もがいつなんどき落ち込むかもしれず、落ち込んだらかつてこの世に存在したことがなかったかのように消滅してしまう忘却の穴に仕立てられていた。

 (ハンナ・アレント全体主義の起源』p224)

 

アレントは、当時の秘密警察に逮捕され、強制収容所絶滅収容所で殺された人々は、ただ殺されただけでなく、初めから存在していなかったかのようにされる可能性があったと主張する。つまり、そこに送られた人々は二重の意味で殺されていたのだ。アレントはその二重性を次のように言及する。

一人の人間が嘗てこの世に生きていたことがなかったかのように生者の世界から抹殺されたとき、はじめて彼は本当に殺されたのである。

(ハンナ・アレント全体主義の起源』p224)

 

これはアレントだけでなく、今読んでいる人のうち何割かの人も感じている事かもしれない(この感覚にあなたが同意するかどうかは、今回は問題ではない)。死んだ人間を記憶している人がいる限り、死者はその記憶の中で生きる事が出来る。だが、アウシュビッツは、死んだ人間が生き延びる事ができる場所、他人の記憶の中にさえ生き延びる事を許さない。死んだ人間の記憶についても、出来事についても何も語られなくなる状況、つまり、存在したという記憶も奪われるという「忘却の穴」がそこに存在していたのだとアレントは言う。

また、アレントの言う「忘却の穴」は、アウシュビッツだけに存在していたのではない。彼女は戦後のアメリカ政府が様々な問題を隠蔽しする際にその手法が用いられようとしていた事を指摘している。アレントは「忘却の穴」の危険性はどこにでも潜んでいるものだと考えていたのだ。

全体主義の政府が発見したことの一つに、巨大な穴を掘って、そこに歓迎できない事実と出来事を放り込んで埋めてしまうという方法があります。これは、過去において行為者であったか、過去の事実の承認であった数百万人の人々を殺戮することによってしか実現できない一大事業です。過去はまるでなかったかのように、忘れ去るべきものとされているのです。

(ハンナ・アレント『責任と判断』p484)

 

このように、アレントは歴史的悲劇の証拠が消し去られてしまう現象、記録も記憶も燃やし尽くされ、灰さえも残さない場所を「忘却の穴」と呼び、これを批判した。

しかし、我々はここで立ち止まっている。我々の疑問はそもそも「忘却」とは何であったかという事であった。例えば、アレントに反論する者は、次のように述べるだろう。

アレントは傲慢な歴史主義に陥っている。彼女は「わたしたちは覚えている事をあなた達は忘れている」と批判してくる。しかし、彼女達だって本当にある出来事を正確に記憶しているかどうか分からないじゃないか。別の視点から見れば、彼女達だって何かを忘れているのだ。視野を広げて考えれば、ある出来事に対する記憶の程度に違いがある事は誰だって分かる。要するに、忘却や記憶というのは記憶の濃淡の話であり、程度の差の問題だ。アレントが言っているのは、「私達の記憶は正しくて、あなたの記憶は間違っている」という事だ。歴史の忘却を問題視する連中の傲慢なご都合主義に過ぎない。”

上記の文章を、哲学風に言うなら、記憶と忘却という二つの相反する概念の脱構築であろう。脱構築とは、簡単に言えば、一般的に相反すると見做されている二つが、実は全くの異質なものではなく、寧ろ共通点を持ってさえいると示す事である(ちょっと違うけど)。ありていに言えば、常識を疑おうみたいな話である(ここまで雑に説明してしまうと怒られるかもしれない)。

話を戻そう。記憶は「一部だけ忘却している状態」と見做せるし、忘却は「一部だけ記憶している状態」と見做す事が出来るのだ。どんな記憶も完全な記憶ではない。人間は忘れながら日々を生きている。また、忘却も完全な忘却ではありえない。どんな忘却も思い出す可能性がある以上、何かを記憶しているのだ。一部を記憶しているからこそ、思い出す事が出来るのだと言ってもいい。思い出す事さえできないのであれば、それは単に「無知」と区別できない。

まとめよう。記憶という行為に忘却が付き纏い、忘却が記憶を既に含んでいる以上、その差は当然程度の差でしかない。つまり忘却と記憶の差は「どちらかといえば覚えている状態」と「どちらかといえば忘れている状態」の差と言い換えたっていい。では、その差を一体誰が、どんな権限で決めているのか、記憶している人間が忘却している人間を批判する事は傲慢ではないのか。アレントに反論する人々はそのように思考して彼女を批判するのである。

”お前たちは、一体何様なんだ? 自分たちだって忘れている所があるクセに、自分たちより少しだけ忘れている事が多い他人に向かってそんな偉そうに言えるのか?”

なるほど、このような思考を続ければ、上記のようなセリフを言いたくなる人もいるだろう。だが、ここでもう一度立ち止まらなければならない。アレントが恐れた「忘却」は、あるいは様々な歴史家が掲げる「記憶」は、本当にそのような批判ができるものなのだろうか。

2.「忘却」という態度

ここで考えなければならないのは、「忘却」と「記憶」が本当に程度の差によって区別されているのかという点だろう。アレントは本当に、ただ「他の人より良く覚えている」事を「記憶」と呼び、「他の人より少しだけ忘れている」事を「忘却」と呼んだのだろうか。私個人の考えを述べさせて貰うのならそれは否である。

彼女が「記憶」と「忘却」を区別しえたのは、記憶の程度の差ではない。単に歴史に対する態度の差だ。なぜ彼女は戦後すぐのドイツ世論についてあそこまで声高に倫理を問うたのか。彼女からすれば、昨日まで戦争を体験していたはずのドイツ国民でさえ「忘却」していたのだ。アレントは、記憶の程度で言えば、時間による忘却のない、一番記憶状態が良いはずのドイツ世論をしばしば問題として取り上げる。そこで彼女は、記憶しているはずのドイツ国民の世論にこそ困惑を示しているのだ。

本書『アウシュヴィッツ』を読んで直面させられる多くの忌まわしい真実のうちでもっとも困惑させられるのは、アウシュビッツ裁判で明かされた事実にも関わらず、アウシュヴィッツ問題を忘れたいというドイツの世論が続いたことである。

(ハンナ・アレント『責任と判断』p416)

 

アレントがこのように苦悩することが出来るのは、彼女の言う「忘却」が単に記憶の程度の問題ではないからである。彼女が「忘却」を恐れるのは、それが真の意味での忘却を望む事、つまり「我々は忘却している」という事実さえも忘れようとする態度であるからに他ならない。記憶しているにも関わらず、「無知」であるように振る舞う事。簡単に言えば、はじめから何もなかったかのように振る舞う事、あるいは自分は何も知らないフリをする事である。人々は、何事によっても思い出すことのない忘却、すなわち「無知」であることを望んだ。アレントはその態度を糾弾したに過ぎない。

アウシュビッツは、虐殺の被害者を二度殺す「忘却の穴」として完成しかけていた。しかし、アウシュビッツの「忘却の穴」は奇跡的に完成することなく、今日まで我々はアウシュビッツという固有名とそこでかつて行われた残虐な行為を知る事が出来ている。アレントはこの事実に希望を抱き、同時に絶望した。アレントは、「忘却の穴」を完成させようと試みたのが、ナチスドイツだけではない事を知ってしまったのだ。大衆もまた、昨日までの戦争がまるでなかったかのように振る舞った。そのようにして積極的に「忘却」しようとする事で、被害者に二度目の死を与えようとしていた事、彼女はなによりその事実にショックを受けたのだ。

アレントは、人がいずれ忘れてしまうことに絶望したのではない、積極的に悲劇をなかった事にしてしまおうとする態度にこそ彼女は絶望したのだ。

わたしはフォークナーとともに「過去は死なない、過ぎ去ってさえいない」と語りたいと思います。その理由は単純で、わたしたちが生きている世界は、いかなる瞬間においても過去の世界だからです。この世界は善きつけ悪しきにつけ、人間が作りあげてきた記念物と遺物で作られているのです(中略)いまを生き、現実世界を、いまとなった世界を生きようと願うわたしたちにつきまとうのが、過去の機能なのです。

(ハンナ・アレント『責任と判断』p484)

 

 3. 「忘却」と「記憶」の間

ジェローム・コーンが解説する通り、アレントは歴史の教訓を信じたのではなく、過去が、現在においてどのように経験されることが出来るのかという問いにこそ注目したのだろう。

 私も歴史の「忘却」に対しては彼女と近い立場を取っている。歴史は完全な形では記憶されえない。歴史はいずれ忘れられ風化してしまうだろう。忘却それ自体が問題なのではない。歴史が忘れられてしまう事に無自覚であろうとする事、歴史を過ぎ去ったものとして無視する事こそが問題なのではないだろうか。

 

 さて、この記事で書くべき事はここまでとしよう。以降は、次回の記事についての前フリとしたい。

 次にぶつかる当然の疑問は、なぜ「忘却」は「悪」なのかという点だ。

 

”どんな悲劇の歴史だろうが、終わった過去の事だ。痛ましい過去の悲劇なら覚えているだけ苦痛なのだから、忘れてしまう方がいいに決まっている。被害者が生きている場合は別として、死んでいるなら、その事を忘れようが忘れまいが被害者にとっては関係ないはずだ。”

 

 このように述べる者達にとって、被害者が忘れ去られる事によって二度目の死を迎える事は問題ではない。死者にとってそのような事はどうでも良い。問題なのは、いまここにいる人々なのだと彼らは言うだろう。私は次の記事に、二度目の死とは何か、つまり被害者が本当の意味で死ぬことの何が問題なのかについて語るつもりだ。そこで漸く、話を歴史修正主義について近づける事が出来るだろう(↓に前回記事と次回記記事張っ付けときます)。

 【次回記事と参考書籍】

tatsumi-kyotaro.hatenablog.com

(↓ハンナ・アレント関連)

全体主義の起原 3――全体主義 【新版】
 
責任と判断 (ちくま学芸文庫)

責任と判断 (ちくま学芸文庫)

 
精読 アレント『全体主義の起源』 (講談社選書メチエ)

精読 アレント『全体主義の起源』 (講談社選書メチエ)

 
ハンナ・アーレント (ちくま新書)

ハンナ・アーレント (ちくま新書)

 
ハンナ・アーレント(字幕版)
 

(↓『マトリックス』の「赤い薬」「青い薬」的な)