京太郎のブログ

社会問題についてと作品評論を書いてます。

愛の為の不貞について~「ロミオはなぜロミオなのか」~

1.何かを選択して後悔する事について

そもそも、恋愛とはどんな感覚で行われるものなのか。

まず、そもそも恋愛とは何か。

これは人によって様々定義の仕方があるに違いない。

この記事では、恋愛を、誰かを性愛を伴った特別な関係を結ぶに相応しい相手として選び、かけがえのない存在として扱う行為として定義する。では、誰かを特別な関係を結ぶにふさわしい相手として選ぶとはどういう事だろうか。

例えば、何かを選択した結果、人は後悔する場合もあれば幸運を感じる場合もある。では、後悔を感じるのはどのような瞬間においてだろうか。

例えば、あなたが人生について後悔する時はどんな時だろうか。

「自分はこの仕事を選んで良かったのだろうか」「自分はこの学校を選んで良かったのだろうか」「自分はこの道に進んで良かったのか」と、人は悩む。後悔は単に不幸な状態とは違う。たとえ不幸とは呼べない状況にあったとしても人は後悔する。例えばあなたが何か自分の選択を後悔した時に次のように言われたら納得できるだろうか。

”お前より不幸な人間はいくらでもいる。そんな事で悩める時点でお前の悩みは大した悩みじゃない。”

このような反論は、後悔している人間が周りから見て不幸かどうかという点のみを重要視するものである。しかし、これでは納得できないという人もいるだろう。なぜなら、後悔はその人間が不幸であるかどうかに直接の関係がないからだ。では、後悔は如何にして発生するものなのだろうか。

後悔は、過去に自分が行った選択を思い出すことで発生する。つまり、もしかしたら別の選択があり得たかもしれないという事がその人を後悔させる。過去における選択可能性が、その人間を後悔させるのである。

”あの時、こっちじゃなくてあっちを選んでいたら今の自分はこうじゃなかったかもしれない……あの時、あの選択を間違わなければもっと良い状況だったかもしれないのに。”

そんなふうに思ったことはないだろうか。

後悔は、このようにして過去の選択に間違いがあった事、あるいは自分にはより良い選択をする可能性もあったと認識することで初めて起こる。

2.自分は幸運であると感じる瞬間

自分が幸運だと感じる場面においても同様だ。もしかしたら間違った選択をしていた可能性もあった事、または自分が今の自分よりも悪い状況に陥る可能性があった事を認識して初めて人は自分が幸運だったと感じるのだ。つまり、幸運だと人が感じる為には、過去の地点において自分には他の選択があり、良くない結末を迎える可能性があり得た事を認識した上で、自分の行った選択がベストだったと感じる必要があるのだ。

結論を言えば、過去に一つしか選択肢が存在しなければ後悔も幸運の感覚も存在しない。

「あの時、もっとこうしていれば」「他に選択肢があったんじゃないか」「もっといい結果を得られたんじゃないか」と思えるのは、別の可能性があったという認識が前提となっている。つまり、人が後悔するのは今の自分以外に「あり得たかもしれない幸福な自分」を想像するからこそ人は後悔する。逆に「あり得たかもしれない不運な自分」を想定する事が出来て初めて人は幸運を感じる。パラレルな存在として、別の可能性を体現した自分の存在を感じ取るからこそ後悔や幸運が存在する。

3.恋愛という形式について

恋愛に話を戻そう。

恋愛とはその形式の事である。現代における恋愛はお互いを特別な存在として承認する事を必要としている。だから恋愛の感覚は次のようなセリフに集約される。

”私にはこの人しかいない”

”私が選んだのはこの人なのだ”

こういう感覚が恋愛という形式においては必要である。だから恋愛の相手が「誰でもいい」という事はありえない。たとえ「誰でもいいから付き合いたい」という言葉を口にして誰かと付き合ったとしても、恋愛の形式は、恋愛相手として選んだ人を特別な存在として扱うように要求する。つまり、特別な理由もなく、付き合ったとしても、付き合っていく中で相手を特別な存在として認める事が恋愛では必要とされている。

これは、不特定多数の中から誰かを選ぶ場合に、ある条件さえ満たしていればよいという思考と真逆である。ある条件を設ける事、例えば「見た目が良ければ誰でもいい」とか「収入があって自分を養ってくれるなら誰でもいい」とか「優しければ誰でもいい」という具合に、「この条件を満たしてくれるなら別に貴方じゃなくてもいい」というメッセージを発する事。このような動機で誰かを選ぶ事は、相手を特別な存在として承認していない為、恋愛をする上で「不純な動機」と言われてしまう。

”私は他の誰でもないあなただからこそ恋をした。私にはあなたしかありえない”

このようなメッセージこそが恋愛という形式を存続させる。

例えば、シェイクスピアロミオとジュリエット』において、ヒロインであるジュリエットには次のようなセリフがある。

“ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの”

ジュリエットにとっては、恋をする相手はロミオ以外にはありえないのだ。ジュリエットは他の誰でもないロミオだからこそ恋をしたのだ。

4.「あなたしかありえない」はありえない?

だが、現実として「あなたしかありえない」ということはありえるのだろうか。ここで、ムジール『愛の完成』(古井由吉訳:岩波文庫)からいくつか引用する事で、恋愛の感覚について考察していきたい。『愛の完成』では、主人公のクラウディネが不倫する。しかし、主人公のクラウディネが不貞を犯した理由が問題である。クラウディネが他の男と性的な関係に陥ったのは、夫を愛していないからでもなければ、夫以上に他の男を愛したからでもない。夫が好きでたまらず、他の男に嫌悪感すら抱いていたからこそクラウディネは不貞を犯す。この理由については後で解説しよう。以下は『愛の完成』からの引用である。

「あなたは覚えているかしら」と妻が言い出した。

「幾日か前の晩のこと、あなたがあたしに接吻したとき、あたしたちの間に何かがあったのを、あなたはわかっていたかしら。あたしの心にふと何かが浮かんだの。ちょうどあのとき。どうでもいいようなことが。でも、それはあなたではなかった。そしてなにもあなたでなくてもかまわないということが、あたしに急につらくなったの。あたしはあなたにそれをいえなかった。」

(ムジール『愛の完成』古井由吉訳:岩波文庫

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)

 

この時クラウディネは自分が夫を愛する特別な理由が見つからずに困惑している。恋愛という特別な承認関係において、特別な理由を見出せない事、これが彼女には耐えがたいのである。では物語中盤の場面を次に引用しよう。

”そんなとき彼女は、ことによると自分はほかの男のものにもなれるかもしれない、と思う事ができた。しかも彼女にはそれが不貞のように思えず、むしろ夫との究極の結婚のように思えた。どうやら二人がもはや存在しない、二人が音楽のようでしかなくなる、誰にも聞かれず何ものにもこだまされぬ音楽にひとしくなるところで、成就する究極の結婚のように。”

(ムジール『愛の完成』古井由吉訳:岩波文庫

ここで彼女は、夫以外の人物のものになる可能性を考える事、他の男と結ばれてしまうかもしれないと考える事こそが夫との究極の結婚のように思える感覚を得ている。次の場面はそれが確信へと変貌する場面である。

あのとき、ある思いがひそかに彼女の心をおそったものだった。どこかしら、この人間たちのあいだに、ひとりの人間が暮らしている、自分にはふさわしくない人間が、あかの他人が。しかし自分はこの人間にふさわしい女になれたのかもしれないのだ。もしもそうなっていたとしたら、今日ある≪私≫については、何一つ知らずにいたはずだ。(中略)夫を愛しはじめてからというものはじめて、これは偶然なのだという思いが彼女の心をつきぬけた。これは偶然なのだ、これはかつてなにやらひとつの偶然によって現実となった、それ以来、自分はこれを離さずにいると。このときはじめて彼女は自分と言うものを、その奥底にいたるまで不明瞭なものと感じ、彼女の愛における究極の自我感に触れた。

(ムジール『愛の完成』古井由吉訳:岩波文庫) 

彼女はこのように別の男のものになる可能性があった事、今の夫と結ばれたのは偶然であるということにこそ感動している。

これは先程の幸運と後悔の話と同じではないか。

恋愛も初めから結ばれる人が決まっているなら、そこにロマンはない。なぜならそこには自分がその人を選んだという感覚が存在しないからである。「もっと他に良い人がいたんじゃないか」「自分はもっと幸せになれたんじゃないか」「あの時ああしていれば、あの人と結ばれたのは自分だったんじゃないか」と思うから恋愛の失敗は苦いのであり、逆に「自分にはこの人しかいない」と思う瞬間こそが恋愛が幸福に変わる時なのである。

恋愛においては、自分はこの人を選んだという感覚という、何かを積極的に選択したという感覚こそがなにより重要になってくる。初めから結ばれる相手が決まっているなら、振り返るべき過去の選択なんてものはない。

だからこそ、『愛の完成』においてクラウディネは夫以外の男と結ばれたかもしれないという可能性を、不貞という形で感じ取ろうとするのだ。夫と結ばれなかったかもしれないという可能性を感じる事こそが、彼女にとって夫と結ばれている偶然に幸福を感じる上で重要になるのである。シェイクスピアロミオとジュリエット』においても、「ロミオ、貴方はなぜロミオなの」というセリフが存在するのは、ロミオ(自分が結ばれるべき相手)がロミオ(固有名ロミオ、ロミオ本人)でなかったかもしれないという可能性をジュリエットが認識しているからである。自分が結ばれるのはロミオでなかったかもしれない事を認識しているからこそ、ジュリエットにとってロミオとの恋愛が特別なのである。

恋愛においては、今の恋愛相手ではない別の誰かと結ばれていた可能性があったと認識されることこそが重要である。つまり、先程述べた「自分にはこの人しかいない」という恋愛の感覚は、「他に選択肢があった中で、自分はこの人を選んだ」「他の可能性もあったのに、今自分はこの人といる」という感覚を肯定することによって発生する。言い方を変えれば「この人じゃなかったかもしれない」という可能性の存在を確認しつつも、「自分はその選択肢の中でこの人を選び、この人しかありえない」と再認識する事によって恋愛は成り立っている。恋愛は何より、ifの感覚(もしかしたらこうだったかもという想像)に支えられている。恋愛の感覚とは、今ここにはないパラレルな世界の可能性を感じながら、今ここにある現実とその偶然に感謝する感覚である。

 

【次回記事と本の紹介】

tatsumi-kyotaro.hatenablog.com

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

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(舞城王太郎好き好き大好き超愛してる』はタイトルが原因で芥川賞を逃してしまった)