京太郎のブログ

社会問題についてと作品評論を書いてます。

『虚構推理』と本格ミステリ

1.ミステリとは何か

『虚構推理』のアニメ化が決定し、ミステリにも若干のスポットライトが当たり始めている今、この記事では、80年代の新本格と呼ばれる黄金期からすっかり衰退してしまった本格ミステリについて語りつつ、『虚構推理』を例に、ポスト本格ミステリの可能性について検討していきたいと思う。

そもそもミステリとは謎を解く小説ジャンルであり、特にその中でも本格ミステリというジャンルでは、作中人物だけでなく、読者も登場人物と同じく作品の謎を推理できるように推理に必要な情報は物語中で全て記述されるようになっている。

ミステリというジャンルではただ事件の真相(正解)を提示するのではなく、正解までの正しい道筋を、登場人物に解説させることで提示してみせる。本格ミステリの場合はさらに、登場人物達が読者に与えられた情報と全く同じ情報のみを手掛かりに推理(正解までの正しい道筋)を展開することになるのだ。

ここで重要なのは、本格ミステリというジャンルは、ある意味ではメタフィクショナルなジャンルでもあるということだ。というのも、語られた謎と描写された手がかりを元に事件の真相を推理するという構図は、小説の細部の描写から物語を読解すること、解釈を与えることとアナロジー(相似・類似)を為すからである。

推理を行う登場人物たちは、読解を行う読者と同じ手掛かりが与えられている。さらにミステリにおいて手掛かりは必ず描写される。そして、登場人物が描写された手掛かりから物語の真相を推理する限りにおいて、推理とは集まった手掛かりから生み出された一つの解釈(読解)に他ならない。読者が描写から物語を読み解くように、登場人物は集まった手掛かりの関係から事件の全容を読み込み推理するのである。

つまり、ミステリでは我々がその物語を読むことと作中人物が推理をすることが入れ子構造になっているのだ。

本格ミステリにおいて、読者が描写から物語を読むのと同時に、作中人物は手掛かりから推理(読解)するのである。

この瞬間、登場人物達はただ単に正答を知る者(=作者の分身)ではなく、作中の描写を参照して正答にたどり着いた者(=読者の分身)として設定される。

その際、最も鋭敏な読者の分身として描かれた者たちは探偵と呼ばれるのである。

かのシャーロックホームズやデュパンやポワロは誰よりも物語の細部に目を凝らし、そこから物語の読解(推理)を行う者たちであった。当然のことながら、最も鋭敏な読者の分身の傍らには、平均的な読者の分身としてワトソンなりの助手が描かれることになるのである。

全ての手掛かりが描写される以上、登場人物達は読者と同時並行的にそれを読み推理することができる。このフェアネスの構造が登場人物を読者の分身たらしめるのである。

そして、物語の真相を積極的に読み解く読者の分身(競う相手)たちがいて初めて、ミステリは作中人物と現実の読者を隔てる第四の壁を乗り越えた競技性を生み出せるのである。

2.アンチミステリとしての多重解決

しかし、競技としての本格ミステリというジャンルには問題が存在する。

それは正しい推理からは正しい真相が導けると前提していることである。だが、正しい推理から正しい真相が導けるとは限らない。現実にあり得るであろう様々な可能性を排除することは事実不可能である。

例えば、探偵が推理に使用した証拠は犯人が用意した偽の証拠かもしれない。でもそうして見分けたはずの偽の証拠の中には、実は犯人が偽の証拠だと言っているだけの本物の証拠も混じっているかもしれない。当然、推理も証拠の不確実性と同様に偽の推理である可能性を否定できないが、一旦ある人物によって偽であると否定された推理も、実はその推理の方が間違っていて偽であるとされた推理が合っているかもしれないので、一度否定されただけではそれが真実でないかは分からない。

こうした事情を考えれば、現実と同様に、一つの事件に対しては複数の推理があり得るのである(現実においては、数ある推理の内もっとも妥当だとされた推理が適用されるとも言える)。

事実、ミステリ界隈においてもこの手の問題提起が行われたのだ。それは「後期クイーン的問題」と呼ばれ、本格ミステリの衰退を招いたとも言われているのだが、下記の記事にて言及し、この記事では割愛したい。

tatsumi-kyotaro.hatenablog.com

それ以上に、いち早くこの問題を敏感に察知し作品として昇華してみせた作家が存在したことの方が重要であるからだ。

それはご存じの通り、多重解決ミステリの金字塔『毒入りチョコレート事件』の作者アントニイ・バークリーである。

『毒入りチョコレート事件』は一つの事件に対して複数の推理が展開される、いわゆる多重解決に区分される作品である。

「毒入りチョコレート事件」に対して、犯罪研究会の面々が順繰りに提示する推理は、一見どれも筋が通っていて正しいように見えるが、結局どの推理が真相であるかは作中では明言されない。彼らの推理に使われた証拠のうちどれが本物でどれが偽物か最後まで明言されていないからだ。それらの推理は結局、事件に対するそれぞれの解釈にしかならなかった。つまり、推理=真相の解明に直結するのではなく、推理は事件に対する一つの「読み」として展開されている。

ここに多重解決というジャンルのアンチミステリ的な側面を発見することが出来るだろう。

毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)

毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)

 

ミステリが唯一絶対の推理からただ一つの真相にたどり着く物語群を指すのであれば、『毒入りチョコレート事件』はその真逆、どんなに正しい推理でも真相にたどり着けるとは限らないということを示唆する。

論理的に正しい推理から正しい真相へたどり着けるはずだという前提は、ミステリというジャンルを成立させる前提であるが、多重解決は、その推理→真相という回路の唯一性や絶対性を否定する。

こうして、『毒入りチョコレート事件』において、本格ミステリ(唯一絶対の推理を作り出すジャンル)の方向性に限界を示したバークリーは、同時に、後のミステリが心理的なサスペンスを重視するものへと変わっていくと予言した。

彼はミステリというジャンルにおいて、唯一絶対の推理による真相の解明と事件の解決のみを重視しない方向性を見出そうとするのである。

その結果、彼はその後の作品で倒叙ミステリ(犯人視点で書かれたミステリ)を発表していくことになるのであるが、『毒入りチョコレート事件』に代表される多重解決にはもう一つの可能性が示されていたのである。

それは、アンチ本格ミステリとしてだけではない、ポスト本格ミステリとして多重解決という道筋である。

もし『毒入りチョコレート事件』が、ただ単に正しい推理から真相にはたどり着けないというテーゼのみを語るものであったのなら、本格ミステリのコード(お約束・お決まり)に飽きたすれっからしのミステリ好き以外には面白いと思われなかっただろう。

ここで取り上げたいのは、『毒入りチョコレート事件』への反応である。『毒入りチョコレート事件』は、単にそれがアンチミステリ的なもの=真相にたどり着くための推理の否定という側面だけを受け取られていたわけではないのである。クリスチアナ・ブランドの「『毒入りチョコレート事件』第七の解答」(創元推理1994)の他、芦辺拓の『探偵宣言 森江春策の事件簿』など、自ら『毒入りチョコレート事件』の新たな推理を披露しようとした読者が数多くいたのだ。『毒入りチョコレート事件』は、唯一の真相が明かされていないために、作中人物だけでなく、作品外の読者も独自の推理を創作することが出来たのである。

探偵宣言―森江春策の事件簿 (講談社文庫)

探偵宣言―森江春策の事件簿 (講談社文庫)

 

アントニー・バークリーの『毒入りチョコレート事件』は、真相が唯一絶対の推理によって決定されえないことを示したとともに、物語における真相と推理の位置を逆転させた。それは真相解明の過程として推理が描かれるミステリではなく、推理そのものが一つの頂点として存在するミステリの発見でもあった。推理という行為の創作性、推理の二次創作的側面が物語を成立させうるということが示されたのである。

そして、これこそが多重解決が持つポスト本格ミステリ的側面なのである。

多重解決では唯一の真相へ向かうための道具として推理があるのではなく、各々の推理の展開そのものが目的化されている。それは、真相を巡って、多数の探偵(読者の分身)達が自分達の推理(読解)を語り合う劇場の構築でもあるのである。そこでは唯一の推理(唯一の読解)が決定されず、一つの事件(物語)に対する複数の推理(読解)が展開されることになるのである。

本格ミステリのクライマックスというと、探偵が事件の謎を解き、真相が明らかになる瞬間だが、多重解決ミステリでは事件の全貌が、推理によって変幻自在に姿を変えていく点に面白さが用意されている。客観的な真相に価値があるのではなく、推理による真相の創作とその語られ方にこそ魅力が存在するという点では、再読に耐えうるミステリ、一度読んでも読み直すことができるミステリとも言えるかもしれない。

ポストミステリ的な多重解決においては、それが真実(=唯一絶対の読解)であるかということよりも、そのロジックがある種の審美性を持っていること(=面白い読解)であることが重要になってくる。つまり、限られた情報(テクスト)から推理を組み立てること自体の快楽にその重きが置かれているのである。多重解決における推理というものは、真相にたどり着くための道具としてのみ価値があるものなのではなく、行為の過程そのものにも価値を見出せるものなのである。

絶対の欠点であった真実への到達不可能性は、乗り越えるべき不可能性ではなく、それ自体を新たな前提としたミステリへの可能性を開いているのである。

3.ポスト本格ミステリとしての『虚構推理』

多重解決においては、与えられた情報を元に作られた正しい推理が正しい真相にたどり着くというテーゼが否定される。それと同時に、多重解決においては、作品に散りばめられた手掛かりをどう読むのかによっていくつもの推理が導かれ並列に扱われる。

多重解決では、必然的に真相そのものよりも、その真相を求めて展開される様々な推理(読解)に多くのページが割かれ、スポットが当てられることになる。だからポストミステリ的な多重解決もので重要になるのは、真相の解明ではなく、様々な推理そのものに役割を与え物語上の見せ場を作ることである。

そしてその成功例として『虚構推理』を挙げることができるだろう。『虚構推理』においては、真相の解明を目的として推理が展開されるのではなく、偽の真相を真相だと思い込ませるために推理が展開されるのである。『虚構推理』においては、真相の解明は事件解決に対しては逆効果であり、偽の真相の創造=虚構推理が事件を解決する有効な手段となっている。

『虚構推理』の鋼人七瀬編では、物語序盤の時点で真相が明かされるのであるが、それは鋼人七瀬という亡霊が真犯人であるというものだ。しかし、この亡霊は人々が噂をすればするほど、つまりその存在を信じる人間が増えるほどにその力を増すという厄介な性質を持っていた。真相を明かすことがそのまま解決につながるわけではなかったために、主人公たちは、人々に偽の推理を披露しそれを信じ込ませるという方法を取るというのがこの鋼人七瀬編である。

このように『虚構推理』では、各物語ごとにそれぞれの理由で真相とは違う偽の推理を展開しそれで人を説得するという展開になるのである。『虚構推理』において推理は、真相にたどり着くことが出来るから意味を持つのではない。

 

『虚構推理』において推理は真相そのものと直接につながるのではなく、あくまで登場人物たちに「解」を与えられるものとして機能するのである。こうした「解」の創作という側面から『虚構推理』は文系ミステリと言えるかもしれない。

『虚構推理』に限らずポストミステリ的な多重解決は、真相の解明ではなく、探偵の語り、ロジックの展開を一つの頂点として物語が構成されている。

そして、多重解決は読解行為のアナロジーとしてのミステリという側面がより強く維持される。テクスト読解において様々な解釈とそれに伴う読みが存在するように、多重解決では、真相(唯一正解の読解)は否定され、複数の推理(それぞれの解釈)が並列に存在する。

真相にたどり着く唯一の推理(唯一正解の読解)が存在しないという点で、多重解決はテクスト論的な読解のメタファー(比喩)あるいはアナロジーなのである。

テクスト論において「作者の死」が宣言されるように、『虚構推理』では真相が死ぬのだ。

勿論、(よく誤解されているが)テクスト論が読者による好き勝手な解釈を良しとするわけではないのと同様に、多重解決の構造はそのまま全ての推理が皆同じ価値を持つということを意味しない。

多重解決が、推理という行為そのものの創作性を示すミステリなのであるなら、それらの推理はやはり唯一の真相の存在を前提としているのであるし、それぞれの推理が互いに比較され検討され議論されうるものでなければ、読解のアナロジーとして読んだところで面白くないだろう。

推理そのものが物語の中心を占めるというのであれば、その推理自体が物語の頂点を占めるに足るエンターテインメント性を備えている必要がある。

すなわち、多数の推理が語られる場を前面に押し出す多重解決のあり方は、必然的に「面白い推理とは何か」「美しいロジックとは何か」というミステリにおいて最も古くからある根本的な問いへ我々を立ち返らせてくれるのである。

ここで、読者を魅了する推理シーンが含まれる作品の例としてハリィ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』やチェスタトンの『ブラウン神父』シリーズ、エドガー・アラン・ポーの『盗まれた手紙』を挙げることもやぶさかではないが、そんなことをやりだせばキリがないのでこの記事ではやめておこう。

【参考図書一覧&虚構推理】

毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)

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九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)

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盗まれた手紙

盗まれた手紙

 
ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

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探偵宣言―森江春策の事件簿 (講談社文庫)

探偵宣言―森江春策の事件簿 (講談社文庫)

 

 (今回の記事ではいいことしか書かなかった虚構推理ですが、基本的に推理以外の日常パートは作者の癖強く出ていて評価しづらいですね。肝心の鋼人七瀬編開始が3巻、終了が6巻となっており、鋼人七瀬編に入るまでのグダグダ感はどうにかならなかったのかと思ってしまう。アニメでは鋼人七瀬編までやるのでしょうが)

虚構推理(1) (月刊少年マガジンコミックス)

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虚構推理(2) (月刊少年マガジンコミックス)

虚構推理(2) (月刊少年マガジンコミックス)

 
虚構推理(3) (月刊少年マガジンコミックス)

虚構推理(3) (月刊少年マガジンコミックス)

 
虚構推理(4) (月刊少年マガジンコミックス)

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虚構推理(5) (月刊少年マガジンコミックス)

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虚構推理(6) (月刊少年マガジンコミックス)

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